皆神山の謎・UFO篇5

5.UFOの真相

 そんなことがあって、私はアダムスキーの説く「宇宙哲学」を本気で学ぼうと決意した。それまで引きずっていた音楽の仕事も止め、ちょうど子供が生まれたので親子三人で高尾町の山の上の家を借りて移り住んだ。普通に考えたら、私もUFOランドに全財産を投じた部類に見えるかもしれない。しかし、それだけなら妻が付いてくることはなかっただろう。何事もトコトン見極めたい、という私の性格がそうさせたのだろう。
 約一年半、仕事もせず、バイクで近所の山を駆け巡りながら、難解なアダムスキーの著書を研究した。そして私は幾つかの答えを掴むことができた。
 一つは「なんでも受け入れる」ということだ。それまでの私はこの世の出来事が腹立たしくて、いっそ無くなってしまえと思うほど憎んでいた。その反面、郷愁のようないとおしさもあって心が不安定になっていた。「なんでも受け入れる」ということは、ただ単にそうすればいいというものではない。とにかく全てのものが宇宙の内側にあるのは間違いないのだから、それが何故存在しているのかを考える、ということなのだ。つまり「嫌だ、」とか「許せない」という感情を押さえて、そのことが待つ「原因と結果」を見極めようとする態度を持つことなのだ。これが「宇宙哲学」の「極意」なのである。
 それが分かると、自分がなんの為に生まれてきたのか、いったいなにを目指しているのかがうっすらと見えてくる。おかしな言い方に聞こえるかもしれないが、人間は案外自分のことは知らないものだ。だからこそ多くの人が怪しい宗教にはまって、教祖のマインドコントロールに陥ってしまうのだ。「宇宙哲学」は自分自身で「自分」を見つける手段でもあるのだ。
 このことによって私は気持ちの有り様が180度変わった。それまではニヒリスティックに全てのことに虚無感しか持てなかったのが、心の中に次第に肯定的な「楽観」が芽生えてきたのだ。
 UFOに懐疑的なニヒリストがここまで変化するに当たって、私は断言するが、決して誰かに唆されたわけでもないし、トリックを信じ込んだわけでもない。UFOというミラクルに何度か遭遇はしたが、彼等の存在を頼りにしたこともない。私が対峙したのは「宇宙の法則」であり、「創造主の意識」そのものだったと言える。
 その知恵は、実は太古からの宗教、仏教、キリスト教の根本と全く同じものだ。そういう点では、私にとって金星人や火星人の存在の有無は、菩薩や天使のそれと同じ程度の意義しか持たなくなった。
 とはいえ、ことUFO問題に関してはそういうことで済むわけにはいかないだろう。やはり現実には他の惑星に人間がいるなどということは絶対になくて、そんなことを言う奴は許せない、という人もたくさんいるだろう。
 ここでは私が経験したことを通して得たUFOと異星人の真相を伝えたが、このことをベースにもう少し別の視点から見てみよう。






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